「やはり義実家に行かなくてはならないのか」 続き
昨日の記事の続きです。
私は、なるべく感情的にならないように、話をしたかったのだが、涙がスイッチになってしまい難しかった。でも、どうしても言っておきたいことがあったので、涙は止まらないが、できるだけ感情を抑えて静かに言った。
「私の気持ちを理解してとは言わない。理解してもらえないからといって、それを攻める気持ちもない。ただ、私が、具体的に何かをしたくないと言ったら、それを尊重して欲しい。」
そして、もう夜も遅かったので、話を切り上げ、風呂場に向かった。その晩、夫は、もうそれ以上何も言ってこなかった。
一日たって、私は冷静に考えてみた。
分かったことは、私は、無理したくないということ。感情が揺さぶられるようなことはしたくないということ。もう少し、時間が必要だということ。そうでないと、ポキッと折れるか、キレてしまいそうだということ。
父が亡くなってからも、私は、夫と息子の前では、表面上は元気に振舞っていたと思う。そうしようと努めていた。でも、内面は、毎日、毎日、苦しかった。
脳を騙すということがあると聞く。辛い時でも笑顔でいると、脳が錯覚して、楽になるという話。私のしていることは、それと似ているかもしれない。内面には、喪失感、空虚感、後悔などの感情が渦巻いているが、とりあえず日常を普通に生きる。目の前のやるべきことを淡々とこなす。家族の前で、いつもの妻、母親でいる。そうしているうちに、内面の感情の渦が、少し穏やかになってくるのだ。
感情を表に出して解消できる人もいると思うが、私はそのタイプではない。人に話して癒されるタイプでもない。自分の心の中で問答する。こういう私には、脳を騙しながら、時間が解決してくれる方法は、合っていると思う。
しかし、困ったことがある。これは自分の脳だけでなく、周りの人も騙してしまうことになるようなのだ。騙すというか、誤解させてしまうのだ。普段通り振舞う私を見て「強い人だね。もう大丈夫なんだね。」と思われてしまう。他人に誤解されるのは、全然、構わない。変に同情されるより、ずっとましだ。でも夫に誤解されたくはない。夫はこういう私の性分を分かっているはずだが、今回の件では、やはり少し私のことを誤解していたのかもしれない。
私は、夫が思うより重症なのだ。これは確かだ。
そして、私は、私自身が思っているより重症なのかもしれない。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。