誰にも言えない

ぐずぐずの引きこもりの私。いつからこうなったのだろう。誰にも言えないから書きます。

置き土産

偶然、知人に会い、少し立ち話をした。話の流れで、その方が「夏に実家の様子を見に帰る」と言った。「様子」というので、私はてっきり「親の様子」という意味かと思ったら、そうではなくて、家そのもののことだった。その方は、私よりは15歳くらい年上で、ご両親は共に10年以上前に他界されているとのこと。しかし、誰も住まない実家をそのまま維持しているのだと言う。年に1、2回飛行機の距離の実家の様子を見に行く。風通しをして、雨漏りや他の不具合がないか確かめたり、庭の雑草を刈ったりするらしい。滞在中はその実家に泊まるのだそうだ。


その話を聞いて、私はええっ?と思った。年に1、2回しか行かない家に泊まるって、布団は?掃除は?電気やガス、水道はどうなっているのだろう?


聞きたい気持ちをぐっと抑えて、話の続きを聞く。


そろそろ実家を手放せと家族から言われているが、その気になれない。両親が建てて、自分が生まれ育った家を、そう簡単に手放せない、と続いた。


ご両親が亡くなって10年以上。もう十分、簡単には手放していないですよと思う。家族が「そろそろ」というのは十分理解できる。なんせ、私たち姉妹は、両親が亡くなって、割とすぐに、家を手放す決断をしたのだった。これはこれで、かなり現実的だと言われるかもしれない。ただ、うちの場合は、実家はフルリフォームされており、私たち姉妹が幼少から育った頃の家では全くなくなっていた。そのおかげで、余り感傷的にならなかったのだろうと言える。


私は、聞き役に徹し、自分の話はしなかった。その方の家族も10年以上、よく理解したと思うし、こういうことは、当事者それぞれに、自分のタイミングがあるだろうとも思う。こういう方が、世の中にはたくさんいるのだろう。


しかし、気になったのは、その方自身も、もう高齢に差し掛かっているということ。タイミングを待ちすぎて、家族、特に次の世代への負の置き土産にならないかということ。それで済めばまだしも、ご近所や行政を煩わせることになる可能性までも見えてくる。世間で言われている空き家問題の片鱗を身近に感じた。


実は、この話を聞きながら、私は、我が家のお墓問題を思い出していた。


(続きます。)