誰にも言えない

ぐずぐずの引きこもりの私。いつからこうなったのだろう。誰にも言えないから書きます。

「突然、義父母と会う」続き

前記事の続きです。
→ 突然、義父母と会う


義父母が帰ると、緊張と張り詰めていた思いが解けて、涙になった。涙を止めようとすればするほど苦しくなるのはわかっていたので、少し泣くしかない。駆け込んだ階段ホールは、幸い誰も来る気配がなく、私は少し安心し、落ち着きを取り戻そうと努める。ひんやりした空気が心地よいのが救いだった。


なぜ泣くのか?他人はそう思うだろう。理屈ではなく、コントロールできない感情の動きがある。義父と会うと、どうしても父を思い出してしまうのだ。父を思い出すと母を思い出す。そして苦しくなる。こうなることは分かっていた。やはり私はまだ心の準備ができていないのだと改めて思う。


義父母に会ったことで、私はまた強く亡き父母のことを思い出してしまった。泣いた後は落ち込む。こうなると、回復するには日数がかかるだろう。だから、義父母には会いたくないし、普段の生活は淡々と過ごすようにしている。もちろん父母を思い出さない日はないが、深くは考えない。自分が苦しいのはもちろんだが、その場を白けさせてしまったり、周りの人に要らぬ心配をさせてしまうのに心が痛む。


久しぶりに見た義父は衰えていた。年の割に白髪も少なく豊かな髪だったのが、すっかり薄くなっていた。それは腹腔鏡手術を受ける前に受けた抗がん剤治療の影響だろう。歩くのもゆっくりで頼りなげだった。杖があった方がよいとさえ思う程だ。一方、顔だけ見ればそれほど違和感はない。思ったほど痩せてはおらず、口調や声量も変わらなかったからだ。術後の経過が良好なことが伺えた。


エレベーターに向かう義父母の後姿が、父の退院に付き添った時のことを思い出させた。それは母が亡くなった年の年末のことで、この時は、年末年始に合わせて退院できることになったのだ。父を病室まで迎えに行き、私が荷物を持って、父のスピードに合わせてナースステーションまでゆっくり歩く。簡単な挨拶をして、その後、エレベーターを待つ父の後ろに私は立った。あの時の父の後姿。一回りも二回りも小さくなった体。うつむき加減の姿勢。ここに母がいない現実。あの時から1年半だ。


せっかくの息子の晴れの日だったというのに、台無しになってしまった。なんとか涙が止まったが、ひどい顔だ。目も赤い。早く戻って息子の喜びを共有したいのに。