誰にも言えない

ぐずぐずの引きこもりの私。いつからこうなったのだろう。誰にも言えないから書きます。

R君家族の話

息子の友達R君の父親(以下、R父とする)と、学校の行事で久しぶりに会った。R君の母親は外国人で、学校行事には父親がいつも参加している。


我が家がこの町に越してきた翌年に、R君一家が越してきた。転入生のR君とうちの息子が一緒のクラスになり、それ以来の仲良しだ。R君一家は、私の地元の隣町から越してきて、R父はそこで生まれ育ったと聞いた。私が隣町で生まれ育ったことを告げると、こんな離れた土地で、出身地が隣同士の者が出会うなんてと、偶然に驚いた。R父は、私より4、5歳若いと思われるのだが、地元の共通の話題で盛り上がった。


久しぶりに会ったR父と話をすると、もしかしたら地元へ戻るかもしれないと言う。聞くと、R父のお父様が、夏休み中に亡くなったのだそうだ。残されたR父のお母様は、今現在はご健在だということだが、すでに80代でひとりにしておくには不安なので、同居はしないまでも、近くに住むため、転職活動をしているのだという。うまくいったら、引っ越しだと言った。


私が二年前に母を亡くした後、一人残された父を思って、地元に引っ越しをするという選択肢はなかった。夫に転職して欲しいなど、思いもしなかったし、その時点で、自分だけが一時的にしろ長期で戻るという発想もなかった。それは実家の比較的近くに妹夫婦がいたからだからと思うが、もしいなかったらどうだっただろう。または、もし自分が大黒柱だったら、R父のように、転職をしてまでも、一家を連れて地元に戻ると言う決断ができただろうか。


R父は三人兄弟の末っ子で、上の兄姉は地元から離れたところで家を構えているのだという。そういう意味ではR父も同じ条件だと思うのだが、ひとりになったR父のお母様と、兄弟それぞれの配偶者の相性という意味で、R父の奥様とが一番うまくいっているからだと言った。


正直、それは奥様が外国人で、本音を日本語で表現できないから、嫁姑関係が表面上うまくいっているように見えるのではないかと私は思った。奥様が、R君の学校行事に参加しないことから、恐らく日本語がまだまだ流暢ではないのではという私の推測であるが、杞憂であってほしい。

同じ美容院へ行ってみたけれど

前回美容院へ行ったのは6月だったので、もう5ヶ月、私の髪は伸びっぱなしだ。



行きつけの美容院が気に入らなくなったので、別の所を探し、1ヶ月ほど前に予約したところで蕁麻疹が始まった。蕁麻疹の原因は不明だから、影響があるかどうかはわからないのだが、こういう状態の時に美容院へ行くのは、やはり避けた方が良いと思い、予約は一旦キャンセルした。しかし、白髪染めはせず、カットするだけなら大丈夫かもしれない、と思い直す。見た目が悪いだけでなく、伸びて痛んだ毛先が、首回りに触れるのが、蕁麻疹で敏感な肌には不快でしかたがないのだ。


カットだけなら、あの行きつけの美容院でもいいかもしれない。アシスタントにたらい回しにされるチャンスが少ないだろうから。予約の電話をすると、ちょうど空きがあり、さっそく行ってきた。


カットだけで、といつものオーナーに告げた時、向こうから何か聞いてくるような雰囲気はなかったのだが、カラーしない理由を、自分から話した。蕁麻疹や湿疹の持病を持つお客さんは珍しくないようで、ヘナや、オーガニックのカラーを、次回にどうぞと軽くお勧めされる。あくまでも情報を提供するという程度の営業トークで、嫌味はない。私の蕁麻疹についても、傾聴し、同調はするが、深く聞いてくることもない。オーナーが全てをしてくれる以前の形態だったら、この美容院は居心地がよいのに、と残念に思う。


カットが終わり、シャンプーとブローはアシスタントが担当した。シャンプーが終わり、鏡の前に戻ると、どうして今日はカラーはしないのだと聞いてくる。またいちから説明するのが面倒なので「体調が悪いので」と、嘘ではないが、ずいぶんと大雑把に説明した。すると「きれいにカットしたのに、もったいないですねー」と無邪気に言う。すいませんね、もったいない頭で。あー、こういうのが嫌なのだ。

不機嫌な人/Fさん

忘れられない不機嫌な二人。



もうひとりは、職場で一緒だったFさん。家庭と同様、職場にこういう人がいる場合も周囲は辛い。毎日のことだし、簡単に、関係を断つわけにはいかないからだ。


父は、突然、不機嫌になるタイプだったが、Fさんは、いつも不機嫌なタイプだった。ただし、相手による。


彼女は専門職で優秀な人だった。彼女の不機嫌な面を知らない人からの評価は高かったし、ショートカットでさばさばした雰囲気は、女性っぽいネチネチした不機嫌さとは真逆だった。彼女は、基本的に、誰にでも不機嫌なのだが、ごく稀に、彼女とうまくやれるという奇特な人が数名いた。不機嫌になる相手、うまくやれる相手は、性別、年齢、学歴、入社年度、どれもバラバラで、何がそうさせるのかよく分からなかった。上司や社外の人に対しても不機嫌だったので、出世や自分の有利になるように、意識してうまく立ち回るというのでもない。ただ、人によって態度を変える人。彼女はそういう人なのだと、諦めるしかなかった。


私に対しても、初対面の時から不機嫌満載だった。仕事でどうしても彼女と関わらざるを得ないのは苦痛でしかない。直接対面するのを避けて、メールやメモなどを活用するが、それで済む仕事ばかりではなかった。


昔、職場の人間関係のストレスで蕁麻疹になったと書いたのだが、原因はこのFさんに違いないと思っている。



子供の頃、父の不機嫌から学んだことだが、Fさんの理不尽な態度に対して、私は自分を責めたり、卑屈になることはなかった。彼女の不機嫌の原因は彼女自身の中にある。彼女の機嫌は、彼女自身が取るしかない。だから私は、ただ淡々と仕事をした。うまくやれていると思っていた。しかし、数年後に蕁麻疹という形で現れた。


彼女とは、妙な因縁がある。私がその職場を去り、結婚して、2回引っ越しをした、職場とは遠く離れた縁のない土地で、Fさんと再会したのだ。7年ほど前のことだ。驚いた。ある場所で、遠くから笑顔で手を振りながら現れた彼女を、私は亡霊でも見る思いで見つめた。あの、いつも不機嫌だったFさんが、なぜ今ここにいて、私にこんな笑顔を向けているのか理解できなかった。彼女は結婚し、今は2児の母親だと、機嫌よく話した。あんなに毎日不機嫌に私に接していたことを忘れているのだろうか?どうしてそんな朗らかに話しかけられるのだ?それは、不思議というよりも、病的で怖いくらいだった。質問が私に向けられそうになったところで、私は友人と一緒なので、と軽く会釈して別れた。私は、2度とその場所へは行っていない。

不機嫌な人/父

よくわからないが、いつも不機嫌な人というのがいる。そして、ついさっきまで普通だったのに、突然、不機嫌になる人というのもいる。私はそういう人が苦手だ。まあ、誰でもそうだろうとは思うが。逃れられない環境で、不機嫌な人に対面するのは辛い。キュッと、心臓を掴まれるような思いになる。


今までに数えきれないほどの不機嫌な人と、すれ違ったり、関わったりしてきたが、忘れられない二人がいる。亡くなった父と、職場で一緒だったFさんだ。


今日は父のことを書く。


父は、普段は、寡黙で穏やかなのに、何がスイッチになるのかわからないが、突然、不機嫌になる。それは、家族に伝染し、家に充満する。子供(私と妹)は、戸惑い、恐れおののく。(父の名誉のために書いておくが、決して暴力的になるわけではない。)大人になるにつれ、とにかく放っておくしかないことを知ったが、当時は訳が分からなくて、自分が何かしたのではないか、自分が嫌われているせいではないか、と心痛めていたのを思い出す。


「自分の機嫌は自分で取る。」


出典がどこなのかは知らないが、ここ最近、よく目に、耳にするようになった。まさにその通りだと思う。父にこの言葉を聞かせたかった。


父の不機嫌は、劣等感が大部分を占めていたと、今なら分かる。その劣等感に押しつぶされそうになる何かのきっかけ、それはテレビの中のワンシーンであったり、本の中の言葉であったり、その場の状況であったり、誰かとの会話であったり、不意に思い出した過去の記憶の断片だったりする。何も、誰も、父のことを言っている訳でもないし、責めてもいないのに、父は、突然、不機嫌に陥る。それは、恐ろしい負のオーラとなり、家族を飲み込んだ。


今、専業主婦となり、家にいるのが基本という生活をしていると、不機嫌な人に惑わされる機会が、かなり少ないことがありがたい。しかも、ある程度歳をとり、会いたくない人とは会わないという選択を、容易にできる図太さも持ち合わせるようになったし、偶然、不機嫌を巻き散らす人に遭遇したとしても、私の問題ではないと考えてスルー出来るようになった。一番身近だった、父という不機嫌な人ももういない。

第2フェーズ

蕁麻疹の話ばかりで申し訳ないが、記録として書いておきたい。


私の症状は、第2フェーズに入った。蕁麻疹と、湿疹との複合。蕁麻疹は出たら消える。痒みもその数時間の事だ。そして消えた後、皮膚はきれいだ。痒みに耐えられず、掻き壊したとしても、肌の回復は早い。しかしだ、湿疹となるとそうはいかない。肌はざらつき、常に赤く、掻き傷は、なかなか回復しない。そして、常に痒い。素人目には、息子のアトピーの症状と似て見える。蕁麻疹に、塗り薬は気休めにしかならないが、湿疹にはよく効く。これが永遠に塗っていて副作用のない物なら良いのに、と心から思う。実際はそうではないから、一時の回復と知りつつ塗る。


息子のアトピーに、もう10年以上も付き合ってきた私だから、この系統の薬のことはわかっている。息子の症状が、成長とともに軽くなり、今では季節の変わり目くらいにしかステロイドの塗り薬が必要なくなってきた。親子で苦労した。やっと、やっと乗り越えたように見えたのに、その向こうに今度は別の山があったなんて。息子にステロイドの塗り薬を塗り続けてきた私の右手の薬指は、皮膚が薄く、赤っぽい。今度は、その指で、自分自身に、毒とも良薬ともいえるクリームを塗る日々が始まった。