誰にも言えない

ぐずぐずの引きこもりの私。いつからこうなったのだろう。誰にも言えないから書きます。

醜い顔

数日前の記事より、一部、投稿のお知らせメールが届いていないようです。問い合わせしています。申し訳ありません。


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息子の学校行事のボランティアに参加してきた。


今回のは、ほぼ丸一日の長丁場。ホットフラッシュもあるし、蕁麻疹もある。コンディションの悪い時に、運悪く重なってしまったが仕方がない。


→ 蕁麻疹体質
→ ホットフラッシュを息子に説明するか


結果、学校にいる間は、ボランティアに支障あるほどではなく、また、誰にも指摘されることもなく終えることができ、ほっとした。家にいると、ホットフラッシュも頻発するし、薬を飲んでいても蕁麻疹の痒みが我慢できない状態にしばしばなるというのに、なぜだろう。やはり精神的な部分が影響しているのだろうか。多少の緊張感が良いのか?体は不思議だ。しかし、さすがにその夜は疲れて、後のことは夫に任せ、息子よりも早くベッドに入って寝てしまった。


翌日、また起き抜けにホットフラッシュ。そして、蕁麻疹も悪化。内服しているステロイドも、思う程の効果が見えない。鏡を見ると、痒みにイライラした醜い顔の私。げんなりした。

友人I

友人Iのことを思い出した。


もう長いこと、私と友人Iには、物理的な距離があるので、連絡手段といえば、もっぱらメールだったのだが、ある日、突然、ぷっつりと返信がなくなった。年賀状も来ない。何年も会っていないし、もう、私は彼女にとって、友人枠から外れたのだろうと思って、こちらも連絡しなくなった。


母が2年前に亡くなった時、自死であったし、家族葬だったしで、誰にも知らせなかった。ただ、喪中葉書ならぬ、喪中メールを友人たちには送った。その時、迷ったのだが、友人Iには送らなかった。母と面識があったわけではないし、その時点で年賀状さえ来なくなって2年を過ぎていたし、いきなり喪中メールを送るのは、向こうも困るのではと思ったのだ。


年が明けて半年後、友人Iからメールが来て驚いた。共通の友人から、私の母の訃報を聞いたことと、型通りのお悔やみが書かれていた。私は返信をし、お悔やみへのお礼と近況を伝えたが、それには返信はなかった。


次の年に父が亡くなった。それきり、友人Iからは連絡はなかったし、こちらもしていなかったが、また共通の友人から又聞きするよりは、私が直接伝えた方が良いだろうと思って、この時は友人Iにも喪中メールを送った。が、それには返信はなかった。


喪中葉書には、特に返信する義務や礼儀はないだろう。しかし私が友人たちに送った喪中メールというのは、同一文面のものを一斉送信するというようなのではなく、一通一通、その友人に適した文面で内容を考え、近況報告を含めて書いたものだった。友人I以外の友人からは全部返信があった。


こちらが連絡しないと、連絡がなかったから、と“不満げに"(←これは私の印象)連絡をよこし、こちらが連絡をすると、何とも言ってこない。状況だけは把握しておきたいから、情報だけは寄こせということ?それは何のために?友達でいたいのかどうかわからない。


母と父の喪が明けて、今年は年賀状を送ることになる。友人Iには送った方がいいのかどうか、気が早いが今から考えている。

ホットフラッシュを息子に説明するか

耳に蕁麻疹がでて、痒みの中、自分が、更年期ど真ん中にいることを思い知る。


→ 蕁麻疹体質


亡くなった母は、更年期症状が酷く、更年期うつを発症し入院もした。こういう症状は遺伝するものではないと聞いているが、多少意識している。


私といえば、ここ最近、ホットフラッシュを頻発するようになってきた。突然、暑い暑いというようになった私を、息子が珍しそうに見る。私はどちらかというと寒がりで、真夏でも涼しい顔をしているといわれる質だったから、奇異に映るに違いない。


夫には説明した。知識としては知っていたようだったが、「本当にそうなるんだねー」とのんびりと答えた。


中学生の息子には、ちゃんと話していない。話すべきかどうか迷っている。性教育というのは、息子の学校でも行われたが、女性の更年期については学ばないだろう。この先も、学校教育としてその知識を得る機会は、恐らくないのではないか。どうだろうか。今は、ただの「暑がり母さん」と思ってもらっていてもいいのだが、将来的に、女性に優しい大人の男性に成長してもらうには、こういうことをきちんと話しておくべきかもしれないと思う。


ちょうど来週から、学校へ行く機会が重なる。コントロールできるものでもないけれど、学校にいる間はホットフラッシュが起きないで欲しい!

蕁麻疹体質

両耳に蕁麻疹ができた。痒くてイライラしてしまう。痒みというのは地味に辛い。時に、それは私を凶暴にさえする。ちょっと大げさか、と今思えるのは、痒みがピークではないからだ。最高に痒みが強かった今朝は、イライラに任せて、罪のない夫に絡んでしまった。反省している。


最初は、右耳がちょっとカサカサして痒いな、という程度だった。耳の穴ではなく、耳介である。乾燥しているのかと思い、保湿クリームを塗ってみたが、全然良くならず、痒みが広がる。


そのうち、両耳共が、痒く、赤く、火照りだす。耳の裏の方までも同じ。家にあった痒み止めを塗るが、ほとんど効果が感じられない。やがて火照りは、腫れと呼んだ方がいいような状態になってきた。


堪らず、4日目にして皮膚科を受診する。診断は蕁麻疹。ステロイドの飲み薬を一週間分処方された。悪化すると、耳はパンパンに腫れあがり、ジクジクした液が出てきたり、頭の方に広がることもあると言われてショックを受けた。とりあえずステロイド薬で、一旦抑え込みましょう、と医者は言った。


問診の中で、15年ぶりに体に蕁麻疹が出るようになったことを伝えると、それとの関係が否定できないと言われる。根っこは同じということか。


→ 蕁麻疹


今飲んでいる市販の抗ヒスタミン薬で抑え込めないものが、たまたま耳に出てきたということかもしれない、という見立てである。医者の説明には、「だろう」とか「かもしれない」という言葉が多い。15年前もそうだったが、蕁麻疹の原因特定は、今も変わらず難しいらしい。


蕁麻疹がでやすい体質というのがあるのだろう。健康な時は、潜んでいる。今、更年期世代ど真ん中の、私の免疫力は、悲しいが完敗したようだ。


病院に行く前は、乾燥か、軽いアレルギーと思っていた。とにかく痒くてしかたがないので、それを何とかして欲しいというだけだったのだが、今は、医者が言った最悪のシナリオが恐ろしくて落ち込んでいる。そうならないために、ステロイド薬を飲むということなのだが、不安でいっぱいである。

妹への感謝

ブログを休んでいる間に、父が亡くなって1年が経った。故人の希望で、一周忌法要はしていない。その日は、ただ、妹と電話で話して、故人を忍んだ。


2年前に母を、そして去年、父を続けて送って以降、妹が、変に気落ちしないといいのだがと、私は気にかけていた。遠く離れた私は、何もできなかった後悔や罪悪感に、今でもなお苦しんでいるが、近くにいた妹は、今、どんな思いでいるだろう。特に、自死した母に対しては、近くにいたからこその、後悔や罪悪感が、もしかしたら私以上にあるのではないかと憂える。


望むと望まざるとにかかわらず、私は実家から遠く離れて住むことになり、妹は隣市に住んだ。それはお互いの夫の仕事の都合によるものだ。近くに住む妹は、私よりも、随分と、晩年の両親とは濃い関係を築くことになった。いや、振り返ると、晩年というよりも、もっとずっと前から、それこそ子供の頃から、妹の方が両親とは馬が合っていたかもしれない。社会人になるのと同時に家を出た私と違って、妹は結婚するまで、実家暮らしをしていた。馬が合うから実家暮らしを続けていたのか、それとも、実家暮らしをしていたから、そうなったのかは、よくわからない。両親共が元気なうちは、近くに住む妹と両親の間には、もちろん良い時もたくさんあったと思う。しかし、父が病に臥せった年からは、妹には、私には想像もできない苦労があったと想像する。


亡き両親を思う時、私は妹への感謝を新たにする。これからもずっとそうだと思う。